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母や姉達の昔話

 私が初めて、歌を歌ったのは2,3才?私と妹に一人ずつお手伝いさんが付いていて、私の担当が、初枝さんという人で、何でも甘やかし、高額なお人形、玩具(当時、親父が仕事が上手くいってたから、周りがお世辞に、女ばかりなので高いお人形とかをよく、贈り物として、貰ったそうだ)それを、すぐバラバラにして壊すような私を「アラアラ〜ア〜らら〜ま〜たコワシチャッタノ〜」というような、の〜んびりした人が初枝さんという人。私を育てて面倒みてた初枝さんが、ある日、突然聞いた?「か〜ら〜す〜なぜなくの〜〜からすは・・・」って私が突然、全曲歌ったらしい?それが、とても「心」に沁みて、涙がでるほど、悲しげに歌ったらしい。それで慌てて、母に言いに行った「奥さん、奥さん、ビックリですよ!この「コ」歌手にしたら「イイ」ですよ!って言ったらしい。其れからが問題で、母や姉達が、私の歌を聴きたいとと思い、なんとか、かんとか?言って!あやしたり、好きなものを食べさせたり、人形壊させたり、あの手、この手で歌わせようと思ったけど、絶対!何故だか判らないけど歌わなかったそうだ(今の私が、この頃からいたのか?ねぇ〜(笑)(性格悪)。後にも先にも「童謡」歌ったのがこの時だけ、小学校に入ってからも、絶対歌わなかった。訳は思い出せなくて分からない。

 ここから京都(それまでは大阪)

 7才位の頃、姉が貰ってきたDris・Dayの「Again」のレコードを聞いて丸暗記。米軍キャンプで歌う。英語伝わったかどうか?分からないけど、ベビーシンガーが大人の曲を歌ったのでビックリ!「マヌエラ」外国人しか入れない店。なぜか歌手がいないので子供でも、何でもいいから歌えるなら歌えということで、歌わされた。歌い始めはシーンとなり、歌い終わったらみんなニコニコ拍手をしていた。やがてチョコレートのボーリング(タドン)みたいな顔した外人が早口で嬉しそうにペラペラ英語で喋りながら、私をヒョイと抱き上げて、頬にチュ、チュとして、多分「ウタ、ナイス、トテモヨカッタ」子供でも大体言っているコト、判る様に褒めてくれた。そしてチップ(幾らか?忘れた)をくれた。そして、そのチョコボーリング見たいな外人が、私に「ヴァイアコンディオス」知ってるか?と聞いた。丁度、カタカナで書いて教えてもらっている最中だったけど、歌える気がして歌ってあげたの(アカペラだね)子供の時って覚えが早い、その場で膝の上に抱かれて‥。そしたら、そのルイ・アームストロングみたいなチョコボーリング外人の、大きな目というか、巨大な目玉から信じられないように、ポロポロと大きな涙(目が大きいと涙の玉も半端じゃない、分量も、幼い時に見たから、そう見えたのかもね!泣きながら何か言ってるので、周りの人を見たら、一人の日本の人が「私の歌を聞いて、国で待ってる奥さんを、思い出した」と言っている!その時、初めて「歌で人が泣くことがあるんだ!」ということを、子供ながらに「へぇ〜」と思ったのを何となく覚えているかなァ〜です。いい経験したのかもね。

 

 洋画館でのイベントで(ポピュラーコンテストがあったので出たいと言ったら、子供はダメ!・・・でもステージの幕(カーテン)の中で歌うだけなら「好いよ!」っていうことになり(今の時代と違うから、人々は鷹揚だった)で、というコトは、(歌声)だけ、「Again」歌った。審査員はコロムビアの偉い人、有名な歌手が3〜4人京都で有名なレコード店(ホシノ?)ここはレコード会社とか有名な歌手とかが必ずアドバイスを受けに行ったり、ご意見を聞きに行く、怖〜いおばさんがいる。そのおばさんが審査員の中にいた。

 ピアノだけで歌うんだけど、打ち合わせで、私が一番ウルサク。ココはこういう風に歌うから、もうちょっと粘ってRitして、歌に合わせてとか?小生意気に言ったらしい、呆れてチラっと睨まれた。お客さんも、審査員も、カーテンの中で歌ってるのは、大人の女の人だと思ってたらしい。随分いい加減な・・・笑えるけど・・・。

 コンクールは応募者も多くて(当時も歌手志望は沢山いた)盛況でした。コンクール(モドキ)だったんだけど・・・。

 最後にトランペットのファンファーレで私が優勝しちゃったコトが分かった。そしてステージの幕(カーテン)が上がると、そこに立っていたのは、(少女)だったので、みんなビックリでざわめいた。声だけで想像していたから、想像外で驚いたのね。遠い昔でもいつまでも記憶している思い出です。

 そのとき戴いた商品は、綺麗なヨーロッパのコーヒーカップセットと毛布、他に何種類か数多く戴いた。コーヒーカップセットはその後、東京に来たときに持って来たので覚えてる。

 時たま、ホシノレコード店にレコード買いにいくと、あのウルサイ怖〜いおばさんが母に「早くこの子を、東京に連れて行け!京都じゃダメだから・・・」と言った・・・アドバイス?

 その時、母さん(ステージママの気持ちになったんじゃないかなァ?)成功の確率など無いけど、京都にいても、何もないし、(親父は???だし)私と妹に賭けた?娘の才能?に、みんな若かったから出来たコト・・・。小学校のとき東京へ、母、上の姉と私と妹。妹はバレーとタップ。私は米軍キャンプ廻り後14〜5才でクラブやキャバレーで歌い始めて・・・それから、デビューとなる。

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