米PLAYBOY誌の話





ポリドールを辞めた(1回目)ひとつの理由は、米「PLAYBOY」誌にある。
「007」シリーズで、日本が舞台になった「You Only Live Twice」(1967年、日本公開)に出演する女優とTanaka Agent girls(ワンシーン、何処のシーンに出るかは分からない)を日本の女の特集とすることで、ロケ側とPLAYBOY誌はタイアップしていた(その頃のPLAYBOY誌は、世界の超一流雑誌、勿論、ヌードは当たり前だけど、誰でも彼でも、出られるモノではなかった)。
その時は、映画会社、スーパーモデル、有名、無名、ありとあらゆる処から、凄い売り込み合戦だった。
遊び感覚で「漫画読本」と言う雑誌に、知り合いのカメラマンに頼まれて出た写真をPLAYBOY誌の「Wolfe」カメラマンが見て(どういう流れで見たのかは、知らない)ナナ通信の林さん(女性の通訳?)という方からいろいろ説明されて(どういう流れで逢ったのか忘れた)結果‥。
「Wolfe」が是非、あなたを撮りたいと言うので、あたし(林さん)が同行するからという事で「ホテル オークラ」でWolfeさんと奥さん(すごくキレイな人で、バレリーナ‥見とれた)と一緒にお会いした。
その時、「ナゼ?私なのか?足も太いし短い、ナイスバディじゃないから」って、身振り手振りでWolfeさんと奥さんに言った(マァ、ワタシも若くて可愛い頃だったけど)。そうしたらPLAYBOY誌の好みがあって、「雰囲気がCuteでCharmingであるコト(別に美人でなくてもイイ)」って言われて‥ナットク。
「HOTEL OTANI」の庭園での映画撮影の合間にWalfeさんが「Sean Connery」の処へ私を連れていって、Sean Cornneryさんとの写真を一杯撮った。
Walfeさんが、「彼女はSinger」って言ってくれたので、Sean Cornneryさんの方から、
---どんな歌、歌うのか?
---ジャパニーズ ブーシ(節?)
私は余り喋れないし、上手く説明できないので「ウ〜ンイエス」と答えた。そしたら、
---Mmm〜Mmmmm(メロディを口ずさんで、後はスマイル)
そのメロディーは「おてもや〜ん ん‥」に似ているようなメロだった。
スマイル、すまいるの「ツウ ショット」楽しかった。
Walfeさんは、私と林さん(いつも着物)を連れて、映画撮影中のスタッフ、出演者、監督、他と一緒に、仲良くさせて写真撮影したり、映画のシーンと繋がるような場面があったら撮ろうと気を配っていた。私は食事中のSean Conneryさんにサインをねだったり(彼は怒らない‥)周囲はハラハラ‥。
日本のmediaは全部シャットアウトだったから、遠くから望遠レンズで。後で、誰だか忘れたけど、意地悪な嫌味を言われた。
Walfeさん達、どれくらい日本に滞在してたのか忘れたけれど、ホテルはニュージャパンの裏の坂を上がった「ホテル」だったような気がする。そこの部屋で林さん、Wolfeさんと奥さん、私の姉さん(女3人とWolfeさん)で、私を写真撮影した。
Wolfeさんはこの後、映画に出演している2人の女優さんと何人?かと箱根などに行って映画撮影して帰って来てから‥Sean Conneryさんとの写真を見せて貰った。
でも「これは、あげられない!」って言われた。何故ならば「写真撮影したものは、全部会社に保管しなきゃなならない契約になっているから(日本で万一何かの雑誌などに発表されたら不可ない‥)」
って‥。
がっかりしたけれどWolfeさんも仕事としてやっているので、枚数がたくさんあったけど、ちゃんと奥さんが監視(笑)していました。
契約書は通訳の林さんに説明してもらって署名した。
銀座で日本人形を見つけてWolfeさんの奥さんにあげた。「このお人形見るたびJunkoさんを思い出すでしょう〜。サンキュ〜」とリップサービス?だけじゃなさそうだと思ったけど‥。
映画出演の件は、銀座のロケで出演シーンが降雨で中止。その次に決まった日は、私が歌の仕事(地方出演、キャンセル不可)で東京にいなかった‥で、結局、映画出演の件はお流れになった。
このことがあり、「PLAYBOY誌に出るのは『アメリカ本社』が決めるから分からない」って言われた。
やがて「PLAYBOY」誌が出た時、マァ、ダメだろう、出てないだろうと思っていたらビックリ。日本の感覚でみたら、別に格別綺麗な写真でもないけど、ページの中に私がいました。
それからが大変。会社「ポリドール」にマスコミ関係から、問い合わせを始め、いろいろな電話が‥で会社はカンカン、私はナゼ?歌にプラスになると思っていたのに‥。
その頃レコーディングしていたのが「何故ゆるしたの」「ベッドで煙草を吸わないで」などセクシー路線‥になっていたこともあり、歌にプラスになると思ったし、世界中に出る雑誌に一度出てみたいと思っていた‥。若い時だからネ、別にヌードだって好いジャン、出たくたって、出られないものだし、出られるチャンスだと思ったのに、世の中「平凡パンチ」の時代。
会社の言い分は「ウチの会社は、『清純歌手路線』で持っています。そんなのがいたら、トンデモナイコトです。しばらく、そっとして静かに収まるのを待っています!」と言ったらしい。(呆れるぜ〜、会社の中では歌手とヤヤッコしい関係一杯の癖に‥)いろいろの問い合わせに全部パーにして止めちゃった。
PLAYBOY誌に出演した女優さん、皆さん「インタビュー」に答えなかった為、週間「新潮」記者(名前忘れた)が来て何故、如何なる切っ掛けで出たのか?とか詳しく聞いていった。
チャント、分かったつもりのように聞いてくれていたと思っていたら、出た記事が「大和撫子がお金で脱いだ」ようなコトを書かれた。
この時「週間誌」って本当のこと書かないんだ、売る為に嘘を面白く書くのだと思ったけど(記事にするテーマを始めから決めて斯かる)‥。
ポリドールとの契約のシーズンが近づいていたので、こんな頭の古い考えの会社と、誰もフォローしてくれない面白みのない職場の人間‥で辞めました。
そしたら、「遠藤実」先生に誘われて「ミノルフォン」に入ったら、歌手達(女)が「嫌な歌手が入って来たわネ〜裸になっても、売りたいのかしらネ〜」って!(名前忘れた)少し売れた奴なんか目立った。
こんなところ1年もいなかった。「遠藤実」先生には悪い事したけれど‥。
それから、またポリドールが「LPシンガー」として戻って来い、で、セクシーなジャケット(裸が多い)の「夜と女とため息」シリーズとなる。
あのとき辞めてから、会社の中でアーダ、コーダになったのかネ〜。
このシリーズは売れたらしい。結局第6集まで出した。また当時流行っていたカーステレオまで続いた。
ダイナミックな転機の切っ掛けを求めて行動したのに結果は「ミッドナイト歌手」と呼ばれることに‥。
第7集の計画の話もあったけど、他人の歌を歌うのが嫌になり、またウィスパー唱法にも飽きてしまって辞めた。

