遠藤 実 先生

 60年代に一年だけミノルフォンに在籍したことがあります。
その頃私は荻窪に住んでいたので、遠藤先生とはご近所だったのがきっかけでしたけど、遠藤先生に。
「オウ!君みたいな歌手、ウチに居ないから来ないか?」
 と言われ、少々カラー的には躊躇ったけど、当時はポリドールに在籍していたのですが、宣伝部などでメディアに出す、出さないで、嫌気がさしていたときだったので、マァーいいか?でミノルフォンに移籍したことがあります。
 遠藤先生宅に私がいくと奥様に。
「オーイ、アンテナさんが来たヨ!」
 奥様も。
「アンテナさんが来ましたヨ!」
 って、『遠藤夫妻』からは『牧村』ではなく、私は『アンテナさん』になっていた。最初『アンテナ』『アンテナ』って、お二人でニヤニヤしたとき、意味が分からなくて、何だろう?と思っていたけど(笑)。
 遠藤先生とのいろいろなお話しの中で
「ナァー、アンテナさんは、何でも人より早くキャッチする感性を持っているけど、早過ぎるのは駄目ダヨ!2歩も3歩も早くてはネ!誰も付いて来ないヨ〜、半歩先がいいんダヨ〜、特にこの世界ではナァー」
 と言われた。
 後になって、そうだナァーと思った。
 でもミノルフォンでシングル「今夜おしえて」のレコジャケには私が米国『プレイボーイ誌』に出ていたこともあって、セミヌードのピンナップを付けるように指示したのは遠藤先生だった。コレッて半歩先かナァー?。
 『プレイボーイ誌』の件はポリドールに在籍中の出来事でした。
 そのとき会社の幹部はカンカンに怒って。
「ウチは清純派(外面清純派?)だ。コウユウのがいるのは困る」
 と言って、
 折角宣伝材料を提供したのに、メディアからの諸々のインタビューとか問い合わせを悉く抑えてしまった。そしてキンシン・・・。
 閑話休題
 ミノルフォンの中も幹部の「エコヒイキ」の複雑さにコリャー早まった!で、再びポリドールからの今度は。
「LP(アルバム)シンガー、として来ないか?」
 と言う誘いで、ミノルフォンより音楽的には自分に合っているカナー、 ミノルフォンはやはり演歌主流。遠藤先生には悪いナァーと思いながら二枚シングル発売と後二曲レコーディングが終わっていたけど、一年弱で辞めてしまいました(ご免なさいの気持で)。
 遠藤先生はどう思っていたかナァー、もし何処かでお逢いしたら、ミノルフォンに入れてくれたお礼と、すぐ辞めたお詫びをしようと思っていたけど、先日お亡くなりになられて悔いが残ります。遠藤先生ごめんなさい。
 ポリドールでのLPのジャケットは、今度はセミヌードジャケになりました。その間、僅かミノルフォン在籍だったわずか一年の間です。
 時は過ぎゆく、タイミングのずれ、運、不運は紙一重です。